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伊勢海老のロブ

カメラや家族、旅行と書いていく、日々の備忘録。

最近覚せい剤だのドーピングだの騒がれているけど、僕は一つ言いたいことがある。

どうも、ウルトラ依存体質のロブです。今回は珍しく僕の主張を言わせてもらいます。

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巷では清原がどうだの、覚せい剤がなんだのと騒がれてますが、心が弱いとそういうものに手を出してしまうのは事実だと思います。そして学生の時こんなことを部活の仲間と話したことがあったのを思い出しました。

 

ドーピングは悪いことなのか?

これね、スポーツやってると必ず付きまとってくる問題なんだと思いますよ。そもそもドーピングの定義ってなんぞ?ということでJOCより抜粋しました。

ドーピングの定義(WADA規程)

ドーピングとは、以下のアンチ・ドーピング違反行為の1つ以上が発生すること

  1. 競技者の身体からの検体に禁止物質、その代謝産物あるいはマーカーが存在すること。
  2. 禁止物質、禁止方法を使用する、または使用を企てること。
  3. 正式に通告された後で、正当な理由なく、検体採取を拒否すること。
  4. 競技外検査に関連した義務に違反すること。具体的には、居所情報を提出しないことや連絡された検査に来ないこと。
  5. ドーピング・コントロールの一部を改ざんすること、改ざんを企てること。
  6. 禁止物質および禁止方法を所持すること。
  7. 禁止物質・禁止方法の不法取引を実行すること。

競技者に対して禁止物質や禁止方法を投与・使用すること、または投与・使用を企てること、アンチ・ドーピング規則違反を伴う形で支援、助長、援助、教唆、隠蔽などの共犯関係があること、またはこれらを企てる行為があること。

JOC - アンチ・ドーピング

 

と、なってるんですが、禁止方法、禁止物質という語句が出てくるだけで、何基準で禁止方法や禁止物質が決まってるのか、いまいち分からないんですよ。

さらにwikipediaで調べると、禁止の理由がこう書いてあります。

 

スポーツの価値を損うため

ドーピングは、競技の楽しみや厳しさを奪い、結果としてスポーツの価値を損なうことになる。

フェアプレイの精神に反するため

スポーツは統一したルールのもと、公平に競い合うことが前提となっているが、ドーピングは公平性と真っ向から反する行為。

健康を害するため

ドーピングは、使用者の心身に悪影響を与える副作用が確認されており[4]、競技者等の安全や健康を守るためにもドーピングは禁止されている。

反社会的行為であるため、社会や青少年に悪影響を及ぼすため

選手がドーピングに手を染めていれば、ドーピングをよしとする風潮が蔓延してしまう。

ドーピング - Wikipedia

 

となってます。これね、どうにもこうにもモヤモヤする部分が多くて困るんですよね。要はモラルの問題である部分が大きすぎて、解釈に困るんです。文化が違えばOKなんじゃね?みたいなところがあったりしてね。

「スポーツの価値を失うため」「フェアプレイの精神に反するため」「反社会的行為であるため」というのは、モラルの欠如からくる違反。でも、仲間と話している間にこんな疑問も出てきたんですよ。

「真剣に競技を行い、個を高め究極を目指す。それも一つのアスリートの姿なら、勝つための手段を選ばないというのもプロのやり方。スポーツのルールを守るのは当然だが、ドーピングはスポーツ自身のルールではないのでは?」

確かに一理ある気がしたんですよね。純粋に勝ちを求める姿という点ではドーピングね手を出すということは分かる。フェアでないというなら、生まれ持った体格や肉体の差、練習環境の差が違うのもフェアではないのという考え方もできるしね。

「健康を害するため」というのは、本気でやってるアスリートだと「今この瞬間勝てるのなら死んでもいい」と思える一瞬があることを考えると、そこは問題にはならないのではという感じです。練習をすれば、必ず体を痛めたり、けがをしたり。再起不能な事態に陥るような事態もあることを考えると、この健康を害するからダメというのは後からとってつけたように感じる部分も大きんですよね。

周りなんて気にしない、自分の限界を超え、さらにはヒトとしての限界を超え、だれも届かない領域まで突き進みたい。そう考える人種が少なからずいる以上、このドーピングが悪かというのは不明です。

 

人目に触れず

一方で、「公衆の目にさらされず、世界記録や公式な対戦を行わないならいいじゃないの?」みたいなことも言えると思うんですよね。これなら公平さをどうとか関係ないし、誰かがズルいと言うこともない。反社会的行為だとか言われることもない。まさに究極に個の能力を引き上げるのみに集中する。ここら辺は難しい問題ですよね。実際大会に出たりしないけど、ただ強くなりたいという理由だけで、禁止薬物を使ってウエイトトレーニングしてる人もいますしね。

先のドーピングの定義だと、禁止物質や禁止方法でなければOKということなんですが、この定義がものすごく難しいと思うんですよ。例えば

 

①日常生活で食べる食物の中に、競技のパフォーマンスを恐ろしく向上させるものがあった

②その食べ物の中から効果のある物質のみ抽出して体内に取り込む。
③効果がある物質に似たような物質を人工的に生成した結果、その効果が数百倍あった。しかも副作用もなにもない夢のような物質ができた。これをサプリとし食べた。

 

基本的に①はOKだと思うんですよ。んじゃ、②はどうなの?これもOKだと思うんですが、健康を害する場合はアウトだと思うんですよね。また、注射器で体内に入れるとかなると、もうアウトな雰囲気が漂ってきます。③はOKなんですかね?フェアプレイの精神に反するといえるんでしょうか?それじゃ、①の時点で公正さはかけてるんですよね。③についても、持病がある選手は一定の割合で禁止されてる薬がOKだったりすることもあったりするから、このあたりどう考えればいいんですかね?

今後さらに考えれる事態を考えてみるとですね

 

④禁止薬物より効果のある食物が発見された。当然副作用なんかない。

 

これは問題なくOKだと思います。むしろ今まで薬に頼ってた奴は悲しくなるでしょう。

 

⑤禁止薬物より効果のある食物が作られた。当然副作用なんかない。遺伝子組み換え作物

 

これはOK?モラル的にはダメな気がしますが、どうなのこれ?うーん、迷宮入りしそう。

 

個人の裁量

それで結局のところ、人に言われたからどうとか、禁止になってるからどうとかより、自分のプライドが許すかどうかの問題になると思います。厳しく鍛えた己の体と心。そして自分で決めたルール。それを守れるかどうかという意味で、心が強いか弱いかという問題になってくると思うんですよ。結局ドーピングなんて屁でもないと思ってる人には、心が弱いとか罪悪感の意識とかはないはずですし。

 

ではまとめです。ドーピングそのものに善悪がどうこうということはないです。それをすることで、自分を許せるかどうか?自分の決めたことを守れるだけの強さがあるか?別にドーピングでなくても、お酒や薬でも同じで、それらに依存することなく、厳しく自分を律せるか?そういう意味で日々鍛え、今までの自分を無駄にしないようにしていくのが理想です。

 

つまり、「あー、最近育児や仕事ばっかりで運動してないから、そろそろ休みの日は自転車乗りに行きたいなぁ。」ということをこの文章で言いたかったロブでした。

 

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)

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